振り返り日記①:手術と発症の時期について
レーシックを受けたのは8年前の夏。
(正確には私が施術を受けたのはPRK。角膜の厚さがもともと少なめでフラップを作る余裕がなかったかららしい)
小学校時代から近視で眼鏡かコンタクトであった強度近視ぎみの私は、レーシックに興味があり、またやれる条件下にあった。
そのころ、ドライアイがひどくて、眠っている間に目をかいてしまうという状態が続いていたので、コンタクトをずっと使っていることから解放されたい、と思っていた。
今振り返ればそもそもコンタクトがどう合わないのか、もっと治療の手段はあったはずだが。その頃通っていた眼科はソフトコンタクトよりハードコンタクト酸素は透過率が10倍なので、ソフトだから調子が良くないのではないかと、ハードを試した期間もあったが、ハードコンタクトが違和感があり、結局続かなかった。その頃、レーシックへの興味を話したところ、その眼科がすすめてくれた眼科で施術を受けた。
施術院では、レーシックによって起こりうる副作用としては「ハロ」「グレア」「ドライアイ」だがそれもほとんどなく、落ち着くまで出る場合があるという考えでいいという説明を受けた。
術後、しばらくは安定しないと言われる期間を過ごしたが、どれだけ過ごしても右目が+2と出てしまい、遠視になってしまった。
医師は「こういうことは普通ないんだけどなぁ・・・おかしいなぁ」とけげんそうで、私も自分が悪いような恐怖にかられていた。
ただこの頃は「右目の見え方がぎらつく」という症状と「睡眠から目覚めるときに目が乾いているようで痛くて開きにくい」という2つの症状だったので生活に不自由はそれほどなく(気づいていなかっただけともいえるが)
不安になるときもあったが、どの眼科も遠視を治せないとの回答で気分が鬱になるのでなるべく目のことを考えないようにしようとしたりはしていた。
4年後に新聞で遠視矯正手術に関する記事を見つけ、その病院でCKを受けた。
角膜を削る作業はなく、角膜を盛り上げるようにする手術で、それを受けてから右目の見え方の違和感はなくなり、気持ちが明るくなったのを覚えている。
それから4年後。2013年6月。一年前。身体に異変が出てきた。
・立っていると脳内が貧血のときのように中に吸い込まれるような違和感があって
座らないと厳しい
・しめつけ感のある鈍い感じの頭痛
最初感じた異変はこんなかんじだった。原因は疲労のせいだと思った。
5月は教育実習(通信で2校目の大学生活を送り、資格取得に向けて動いていた頃だった)+介護体験で、忙しすぎてあまり寝られない日々ではあったので、その反動が出ているのかなと。
先述の2症状のほかに、次第に
・心臓がドキドキする。心臓付近の筋がつっぱっている感じで、痛い。
・めまいというのか、常にエレベーターで上下しているような感覚に襲われる。
・頸・肩の強いこわばりと痛み。
なども起き始めた。
だが、よくわからないままで、一日だらだらと寝込んだり、病院で検査を受けたりしていた。
心臓の検査は異常なし。脳神経外科の検査も異常なし。
ただ、脳神経外科では「起立性調節障害」の診断が出て、血圧をあげる薬をもらった。
その日の晩、理由がわかってほっとしたような、まだ腑に落ちないような気持ちでネットを見ていた。
不思議と妙に目が痛くて、光がまぶしかった。
その日、今までなかった「眼痛」が顕著化したのだった。初めて「目」自体がサインを出した。考えたくなかったが、レーシックを受けたことが頭をよぎった。
そして辿り着いたのが、レーシック難民の人たちが書いた実体験や現状のページ。
認めたくなかったが、謎が解けたような気がした。
今ある複合的な症状がすべて絡んでいるのがレーシックの後遺症なのだと知った時、私はこれに該当するのだろうと思った。ものすごく悲しかった。
私のように術後何年も経過してから症状が出る人もいる。因果関係が明らかにしづらい(不可能に近い)し、なにより自分が気付かない。何の病気なんだろう、とずっと思っていたし。
また、気が付かなかっただけで、長く患ってきた睡眠障害(悪夢・多夢・睡眠時の歯の食いしばり)も、術後に発症した後遺症の1つで、眼とは結び付けずに治療方法を探してきた気がする。
6月22日だった。
この先の人生が急激に真っ暗になり、怖くて泣いた。
自分が自分でなくなるような、そしてそういった変化に自分が耐えられる自信がないような気がした。
思い出すのがつらい時期がこの頃から2か月くらいあり、それが発症当初のBAD期①ととらえている。
ちなみに術後7年経過して症状が出た理由については加齢があげられる。
手術当時25歳だった私は昨年33歳、厄年。
「やっぱり厄年だから体調不良なのかなぁ」などと理由がわからない頃笑っていたのだが、半分は正解とも言えるかもしれない。
眼の調節機能が落ちてきて、今まで自分の調節力でどうにかなってきたものが、どうにもならなくなってきたことが、発症につながったらしい。
そして私の場合29歳のときにCKを受けているので、それも発症を遅らせたかもしれない。CKは傷をつける手術なのだが、身体は自動的に治そうとする機能があるため、もとに戻ってしまうのだとのこと。発症当時、CK直後は正視の検査結果が出ていた私の右目はまた遠視に戻っていた。
振り返り日記②に続く。